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【研究者がビジネスについて考えてみた】ビジネスと研究の発想の違い:「役に立つ」では不十分

日々研究にとりくんでいる私たちの中心には常に「成果を論文として世の中に示す」という目標があります。新しい知見を生み、検証し、論理として美しくまとめる。研究の発想は、突き詰めれば「役に立つものをつくる」という姿勢にあると言ってよいでしょう。
 役に立つものをつくるのだから、それを社会に広げれば自然とビジネスにつながるはずだ――こう考える研究者は少なくありません。私自身も、この約10年間、複数の企業と共同研究を進めてきましたが、その初期段階においては、研究者と企業人の発想に大きな違いはないように見えました。
 私は20年以上にわたる研究人生で、医療データの分析に携わってきましたが、近年は企業から Non-SaMD 分野 での協力を求められる機会が増えてきました。Non-SaMD とは、医療目的には限定されないヘルスケア関連のソフトウェアやアプリケーションを指します。企業との共同研究において私は、手を抜くことなく可能な限り要望に応えてきたつもりです。しかし、それでもビジネスとして成功に結びつくケースはごくわずかでした。その経験の積み重ねが、私に一つの経験則を教えてくれました。

 「役に立ちそう」という発想だけで走るビジネスは、うまくいかない。

 大学発の技術を「社会実装」し、「ビジネス」として成立させることを十年ほど考えてきた結果、私が気づいたことがあります。それは、研究とビジネスの発想は似ているようで決定的に違うということです。
 研究の成果として生まれた技術は、しばしば「新規性」「有用性」「精度」「独自性」といった軸で評価されます。これは研究の世界では極めて重要な基準です。しかし、ビジネスの世界では、それだけでは不十分です。たとえば、研究開発の成果として新しいアルゴリズムをつくり、従来よりも高性能の予測ができるようになったとします。研究としては立派な成果であり、論文には十分値します。これを製品化して販売することも可能でしょう。
 しかし、ビジネスとして成立するかというと、そこには別の論理があります。ビジネスの根底にあるのは、新規性でも精度でもありません。私がこの十年の経験で最終的に辿り着いた結論は、次の一文に集約されます。

 ビジネスとは、「お金を払い続けても良い」と思える仕掛けをつくることである。

ここで重要なのは、「一回お金を払う」のではなく、「払い続ける」という点です。
 研究開発によって生まれた一つの機能は、一つの「商品」の要素になります。しかし、それだけでは持続的なビジネスは成立しません。「機能」は単体では価値を生み出し続けないからです。むしろユーザーにとって価値があるのは、それを使うことで継続的に得られる体験払う費用以上に得られる価値他では代替できない関係性や継続価値、といった「仕掛け」そのものです。
 ここで、ビジネスがどのように「払い続けてもらう仕掛け」をつくっているのか、いくつか具体例を挙げてみたいと思います。

研究とビジネスの発想の違い

1. 服は長持ちするのに、毎年新しいものを買いたくなる

 衣服は本来、機能だけを考えれば数年は問題なく使える耐久商品です。私自身、ふと気づくと「これ、10年前にユニクロで買った服だ」「この下着、しまむらで買ってもう5年は着ている」と驚くことがあります。それほど衣類の素材は長持ちします。
 しかし、現実には多くの人が毎年新しい服を購入します。これは、衣服そのものの「機能価値」ではなく、流行・デザイン・季節性といった「更新される価値」が仕掛けとして組み込まれているからです。耐久性が高くても、「今年のスタイルではない」と感じた瞬間に買い替えの動機が生まれる。このように、需要を継続的に生み出す仕組みがビジネスとして成立している好例です。

2. スポーツ、ゲーム観戦を「ビジネス」としてまとめあげた人がいる

 スポーツやゲームは、本来「自分でやって楽しい」娯楽活動です。生活に必須ではなく、個人が余暇に楽しむためのものでした。ところが、この「自分が楽しむもの」を「他者がプレイしている様子を見て楽しむもの」へと視点を切り替え、そこに巨大なビジネスを築いた人たちがいます。
 ホームランボール一つが1000万円の価値を持ち、プロ選手に人々が強い憧れを抱く――。これは、単なる競技の枠を超え、「大観衆による観戦」「コンテンツ化」「スター創出」といった仕掛けづくりによって、新しい価値が生み出された結果です。人々は選手の技術だけでなく、ストーリー、勝負の緊張感、コミュニティとしての一体感といった「体験」にお金を払うようになりました。
 一度立ち止まり、冷静な視点から考えてみてください。これらの価値は自然に生まれたものではなく、人の手で丁寧にデザインされ、創り上げられたものなのです。「自分でやる」から「見て楽しむ」へ――この発想の転換こそが、スポーツ産業やエンタメ産業を世界的な巨大ビジネスへと押し上げたのです。

3. 良い商品をつくっても売れないという現実

 研究者がつくる技術やプロトタイプは、機能としては優れていても、必ずしも売れるわけではありません。良い商品が市場で伸びない理由は明確で、「お金を払うほどの価値に達していない」「単発の価値しか提供していない」、あるいは「そもそも誰にも知られていない」といった状況が多いからです。
 さらに重要なのは、どれほど良い商品でも、それを使い続けてもらうための「仕掛け」や「枠組み」が欠けているとビジネスとして成立しないという点です。たとえば、更新するほど便利になる仕組み、使い続ける理由が自然に生まれるサービス構造、コミュニティ性、サポート体制などがその枠組みにあたります。これがない商品は、買われた瞬間に価値提供が終わり、継続的な収益につながりません。
 そして、宣伝やマーケティングは単なる補助ではなく、この「仕掛けづくり」と一体で設計されるべきものです。マーケティングとは「ただ知らせること」ではありません。

  • 誰にとって
  • どんな文脈で
  • どのような価値が生まれ
  • なぜ使い続ける必要があるのか

これらを物語として伝え、ユーザーがその枠組みの中に自然と参加したくなるように設計する行為そのものです。 宣伝はその入口にすぎず、価値を伝わる形に翻訳し、市場の中で位置づける作業がマーケティングです。
 結局のところ、ビジネスに必要なのは単なる“良い機能”ではなく、価値を生み続ける仕掛けと枠組み、そしてそれを適切に伝えるマーケティングではないでしょうか。

4. 学術の学会組織は成功しているが、課題はある

 意外に思われるかもしれませんが、学会組織は「払い続けてもらう仕組み」という観点では、非常に成功したビジネスモデルです。多くの学会は会員制度を持ち、会費が毎年安定して入ってきます。そして、学会誌、大会参加、コミュニティ形成など、継続参加する理由があらかじめ設計されています。
 学会は研究成果を発表する場であると同時に、「継続的なコミュニティ価値」を提供し続ける仕組みでもあります。そのため、機能単体ではなく、コミュニティという“枠組みそのもの”を提供することで、構造的に収益が得られるようになっています。
 学会組織は、サービスを一回提供して終わりではなく、「参加し続ける必然性」をつくり出している点で、ビジネスとして非常に本質的な成功例と言えるでしょう。
 とはいえ、学会には本質的な弱点があります。それは、この仕組みが会員(主に大学教員)の無償奉仕に強く依存しているという点です。編集作業、査読、運営、会議、イベント企画など、学会が提供する多くの価値は、実際には会員のボランティア精神によって支えられています。この構造は、長期的な持続性に課題が残ります。負担の偏り、世代交代の難しさ、運営の属人化など、ボランティア依存がもたらす問題は少なくありません。実際、学会運営は、若い研究者にとって「嫌な雑用」になっているように感じます。

5. 日本の大学はビジネスとして成功していないように見える

 ここまで見てきたように、多くの成功しているビジネスには「価値を継続的に生み出し、払い続けてもらう仕掛け」が存在します。一方で、日本の大学はこの点で十分な仕組みを持っていないように、私は感じています。
 大学の研究・教育活動は、本質的には大きな価値を生み出しています。しかし、その価値が社会に継続的な形で還元されず、助成金や補助金に依存した構造が長く続いています。研究成果の多くは論文発表で完結し、その先の「価値のビジネス化」や「継続的に利用される仕組みづくり」へと発展するケースは決して多くありません。
 また、大学の価値が外部に正しく伝わりにくいという問題もあります。不幸なことに、入試偏差値のみで評価される状況が続き、大学が本来持つ教育・研究・共同プロジェクトなどの多様な価値が可視化されていません。これらを体系的に社会へ届ける仕組みやマーケティングが不足しているため、大学は「価値を生み出す装置」として十分に機能していないように見えるのです。
 つまり、大学は「価値がない」のではなく、

  • 生み出した価値を社会に届ける枠組みが弱い
  • 継続的に利用される仕掛けが設計されていない
  • 助成金頼みで、持続的なビジネスモデルを構築できていない

という構造的な課題を抱えています。

本来であれば、大学が生み出す知や技術は、社会に長く使われる枠組みへと昇華できるはずです。しかし、その橋渡しとなる仕組みが十分に整っていないため、「大学は成功していないように見える」のです。

まとめ

 研究者は「役に立つものをつくる」という純粋な動機から出発し、新しい知の創造に情熱を注いでいます。しかし、社会の中で価値を持ち続けるものは、単に「役に立つ」だけではなく、使い続けてもらう必然性を生む仕掛けと枠組みを備えてる、とうのが私の主張です。
 私は、研究者がビジネスの論理に飲み込まれる必要はまったくないと思っています。しかし同時に、ビジネスの発想が持つ視点――人は何に価値を感じ、どのような仕掛けによって継続的な関係が生まれるのか――は、大学人にとっても決して無縁ではないと感じます。
 これからも私は、研究者としての姿勢を大切にしつつ、その心の片隅に「ビジネスの発想」を置き続けたいと考えています。そして近い将来、学生たちに向けて「大学は研究が楽しいだけでなく、ビジネスとしても多くのチャンスに満ちている」ということを、自らの実例をもって語れるようになりたいと思っています。

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