今回は、フラクタル図形を特徴づける「ボックスカウンティング次元(box-counting dimension)」のお話です。
私たちが「次元」という言葉にもっている素朴なイメージは、0次元は位置だけを示す点、1次元は長さを持つ線、2次元は面積を持つ平面、3次元は体積を持つ立体図形というものだと思います。例えば、1次元の直線は「長さ」だけの概念で、2次元の平面になると「面積」があり、3次元空間になると「体積」がある、といった具合です。
また、次元が1つ上がるごとに、その空間で点の位置を指定するために必要な情報の自由度も増えていきます。例えば、直線(1次元)上の点の位置は1つの値(座標)で指定できます。平面(2次元)上の点の位置は2つの値(x座標・y座標)で指定する必要があります。同様に、3次元空間内の点の位置は3つの値(x座標・y座標・z座標)で指定します。
そのように考えると、私たちが扱う図形の次元は通常0や1、2、3といった整数になります。そして、「次元」は、長さを測れる、面積を測れる、体積を測れるというような、大きさを測る量と、関係していそうです。
しかし、コッホ曲線のようなフラクタル図形では、一本の線で描かれているのに「長さは無限で、面積はゼロ」という奇妙な特徴があり、長さを測ることも、面積を測ることもできません。そのように、フラクタル図形には、「長さ」、「面積」、「体積」の概念を使って、大きさを測ることができないという「奇妙さ」があります。
フラクタル幾何学では、そのような「大きさがあるのかどうかわからない」奇妙な図形の構造を特徴づけるために、整数でない(小数の)次元を導入します。それがフラクタル次元です。重要な点は、フラクタル次元が通常の次元概念を拡張したものだということです。そのため、フラクタルではない図形については従来の次元とフラクタル次元の値が一致します。例えば、フラクタルではない線分や曲線のフラクタル次元は1、面をもつ丸、三角、四角のフラクタル次元は2となります。このようにフラクタルでない図形の場合、フラクタル次元でも通常の次元でも結果は同じです。
フラクタル次元を求める方法にはいくつか種類があります。その一つがボックスカウンティング次元です。今回は、このボックスカウンティング次元の計算方法について説明します。
ボックスカウンティング次元を求めるには
ボックスカウンティング次元の計算では、小さなボックス(超立方体)を考えます。専門用語の「超立方体」は、対象とする図形を囲むのに十分な次元をもった一般化された立方体を意味しますが、ここでは、ボックスとして、2次元平面に描かれている図形やグラフなら正方形、3次元空間内に描かれているものなら立方体をイメージしてください。そして、そのような小さなボックスをたくさん使って、分析したい図形(あるいは、グラフ)を覆います。ボックスは互いに重なっても構いませんが、ボックスの数は、できるだけ少なくするという方針を決めておきます。

ボックスカウンティング次元の具体的な計算では、小さなボックスの一片の長さを として、そのときに図形を覆うのに必要なボックスの個数
を数えます。つまり、図形が覆われている(含まれている)箱の個数です。
ボックスのサイズ を小さくしていけば、必要なボックスの個数
は変わっていきます。このとき、
と
に、次のような関係
が成り立つとき、この式に登場する がボックスカウンティング次元(フラクタル次元)です。
この定義での計算過程を簡単な例で考えてみて、多くの人がイメージする「次元」の値と、ボックスカウンティング次元が一致するかを確かめてみます。

簡単な例として、まず「点」のボックスカウンティング次元を考えてみましょう(上図参照)。
点を覆うために、一辺の長さを とする正方形(ボックス)を用意します。点が1つだけであれば、どんなにボックスを小さくしても、必要なボックスの数は常に1個です。したがって、
が成り立ちます。
この式を一般式 と比較すると、
であるため、
となります。
つまり、点のボックスカウンティング次元は0 です。これは、「点は位置を示すだけで広がりをもたない」という直感的な理解と一致します。

次に、長さ1の「線分」のボックスカウンティング次元を考えてみます(上図参照)。今回もボックスとして、一片の長さ の正方形を用意します。線分の場合、
サイズを1/2に細かくすると、必要な箱の数
は2倍になります。ボックスのサイズを、1から初めて、1/2倍にする変換を
回繰り返すとすれば、
となり、線分の長さを1とすれば、必要なボックスの個数は、
となります。
フラクタル次元が登場する式
を変形すれば、
となりますので、この式に、上で見積もった、 と
を代入して、
となります。
ボックスカウンティング次元として求めた線分の次元は1です。線分の次元は1という、従来のイメージ通りの値に、ボックスカウンティング次元もなっています。
こんなふうにして次元が決まるのは不思議と感じるかもしれませんが、よく考えてみれば、面積も長さもない点、長さがあって面積がない線分、面積があって体積がない面について、ボックスカウンティング次元がそれぞれ、0、1、2になるのは直感的に当たり前です。ボックスは単に図形の大きさを測る基準単位にすぎません。
たとえば、長さが1メートルの線分や曲線であれば、ボックスのサイズ(1辺の長さ)を 0.1 メートルにすれば、必要なボックスの数は10個に、ボックスのサイズを 0.01メートルにすれば、必要なボックスの数は100個になるのは当たり前です。この関係を数式で書けば、ボックスのサイズが のとき、有限の長さ1をもつ線分や曲線を囲むのに必要なボックスの数は、
です。この関係式が意味することは、「その図形は長さが測れるよ」ということです。
さらに、面積1mの丸や、三角や、四角の図形の例を考えれば、ボックスのサイズ(1辺の長さ)を 0.1 メートルにすれば、基準となるボックスの面積は0.01 m
ですので、図形を囲むのに必要なボックスの数は100個です。ボックスのサイズ(1辺の長さ)をもっと小さくして 0.01 メートルにすれば、基準となるボックスの面積は0.0001 m
ですので、図形を囲むのに必要なボックスの数は10000個です。この関係を数式で書けば、ボックスのサイズが
のとき、有限の面積をもつ図形を囲むのに必要なボックスの数は、
です。この関係式が意味することは、「その図形は面積が測れるよ」ということです。さらに、空間図形で有限の体積を持つものは、
となることがイメージできると思います。
直感的に次元の値を見積るのであれば、ボックスを小さくしたときに、ボックスが横方向のみに並んで、縦方向には1個程度の数しかなければ、次元は1です。あるいは一本の曲線で、曲線に沿った方向のみにボックスが並び、それと直交する方向に、複数のボックスが必要な厚み(幅)がなければ、次元は1です。1本の線で描かれるグラフであっても、ボックスが、横方向だけでなく縦方向にも、たくさん並んでいるならば、次元は1より大きく、2に近づきます。

フラクタル図形の気持ち悪いところは、カントール集合のように「長さが0だけど、部分区間の数が無限大」とか、コッホ曲線のように「長さが無限大で、面積が0」とか、長さや面積を測ることができないことです。そんな場合でも、ボックスカウンティング次元は、その構造を特徴づける値を教えてくれるのです。
非整数ブラウン運動のボックスカウンティング次元は?
今回、ボックスカウンティング次元について説明したのは、学生の皆さんに非整数ブラウン運動のフラクタル次元をもとめられるようになってほしいからです。とはいえ、今回は、非整数ブラウン運動のフラクタル次元を計算しません。その代わり、ボックスカウンティング次元をイメージするのを助ける図をいくつかのせておきます。
グラフの場合、ボックスのサイズを小さくしたときに、縦方向に並んだボックスの数が1個程度であれば、次元は1です。それに対し、ボックスのサイズを小さくしても、縦方向に並んだボックスの数がたくさんあるようであれば、次元は2に近づきます。
下の例では、ハースト指数 が、0.1、0.5、0.9の場合を描いてありますので、縦方向のボックスの数を意識して観察してみてください。
ハースト指数Hが0.9の非整数ブラウン運動
下の図のような、H=0.9 の非整数ブラウン運動の例では、グラフは、縦方向にほとんど広がりがない、線に近い印象です。理論的には、D = 1.1 になります。

ハースト指数Hが0.5の通常のブラウン運動
下の図のような、H=0.5 のブラウン運動の例では、グラフは、もちろん1本の線なのですが、ボックスで覆ってみると縦方向に少し広がりがあるように見えます。理論的には、D = 1.5 になります。

ハースト指数Hが0.1の非整数ブラウン運動
下の図のような、H=0.1 の非整数ブラウン運動の例では、グラフは、もちろん1本の線なのですが、縦方向に塗りつぶされているような印象があります。ボックスで覆ってみても、グラフの縦方向を覆うために、何個もボックスが必要なので、しっかりとした幅があることがわかります。ですので、ボックスカウンティング次元は、2に近そうです。理論的には、D = 1.9 になります。

おわりに
私が大学のときに所属していた研究室では、カオス力学系を研究していました。私は、不真面目で大学入学後8年目にして、ようやく「カオス」をテーマに卒研に取り組んだわけです。
その当時、私が特に数学的な気持ち悪さを感じたのが、「稠密集合」と「次元」という概念でした。私はカオスという現象に、もっとダイナミックでロマンのあるイメージを抱いていたのですが、カオスの教科書を開くと、前半の多くのページが集合や被覆といった抽象的な数学の話で占められており、正直、最初は面白さよりも「現実離れした感覚」ばかりが印象に残りました。
それでも、その内容を試行錯誤しながら理解していくうちに、だんだんとその「気持ち悪さ」の奥にある深い意味が見えてきました。今振り返ると、あの頃感じた「気持ち悪さ」と「こんなの勉強しても意味ないんじゃないかという疑い」こそが、私にが科学的「知」の冒険に踏み出す入り口だったように思います。