プロローグ
チの物語を紡ぎ、感動をつなぐ 私は数か月前、学生に勧められて「チ。 ──地球の運動について──」(原作:魚豊)のアニメを観ました。この作品は、キリスト教的世界観が支配的だった時代と地域において、天動説に疑問を抱き、地動説を証明しようとした人々の信念を描いています。
私がこのアニメから受け取ったメッセージは、単なる地動説の是非ではありませんでした。むしろ「知の伝承」と「知の創造」によって生まれる感動や好奇心こそが、研究者を前へと突き動かす原動力である、というメッセージに感じたのです。私が研究者、あるいは、教育者として、学生や他の人々に伝えたいと思ったのは、得られた知識や発見そのものではなく、その探求の物語(narrative)の中で私自身が経験した感動そのものである、と気づきました。
科学の歴史において、研究成果を洗練された論文として残すことはもちろん重要です(歴史に知識と名前を残すために)。しかし、私たちが人生をかけて挑み、楽しんでいく「知の冒険」──すなわち知の伝承と創造──においては、それを駆動する「感動」や「好奇心」という原動力の存在を忘れてはならないのです。テストの点数が重視される社会では、知の物語は軽視されがちですが、科学における物語には大きな魅力があります。感動は人に伝わり、そして生き続けるのです。
ということで、これからはときどき、私自身の「チ」の物語を、特定のテーマについて綴っていきたいと思います。今回は、体格指標BMI(Body Mass Index)にまつわるお話です。果たして私の発見が世界の常識を根底から変えるのか、それはまだわかりません。参考論文は以下です.
現在の子どもの体格評価指標は間違っている
私は、ある研究プロジェクトに参加したことをきっかけに、学校保健統計データを分析する機会を得ました。学校保健統計は、日本全国の小中高校生を対象に実施される定期的な調査であり、私が扱ったデータは計約800万人にのぼる児童生徒の身長・体重情報を含む、極めて大規模で貴重な資料でした。
子どもの痩せや肥満は、その後の人生に長く影響を及ぼします。肥満は生活習慣病のリスクを高め、痩せは体力低下や免疫力低下を引き起こすだけでなく、特に女性の場合は骨粗しょう症や妊娠困難など、生涯にわたる健康問題につながることが知られています。そのため、成長期における体格評価の方法はきわめて重要です。現在、世界ではBMI(Body Mass Index)が子どもの体格評価に広く用いられていますが、日本では独自の基準に基づいた方法が採用されています。
私はこのデータを扱う中で、「そもそも体格評価指標の根拠とは何か」という疑問を抱きました。分析を進めるうちに、成長期の子どもに対する評価においては、BMIも日本独自の方法も必ずしも適切ではないと考えるようになったのです。さらに調べると、世界の多くの研究者が、身長と体重から導かれる体格評価指標の正しさの根拠を問い直すことをほとんどせず、既存の基準や権威の言説を無批判に受け入れている現状があることを知りました。
子どもたちの健康を見守ることは、我々大人、そして社会全体の責任です。だからこそ、この現状を変えていく必要があると私は強く考えています。
とはいえ、私がここで目指すのは、現在の子どもの痩せや肥満の評価法を非難することではありません。大切なのは、身長と体重という誰もが容易に得られる身体計測値を用いた体格評価の「根拠」を、専門家の皆さんに改めて理解していただくことです。そして、その理解を土台に、現在の評価法を廃止するのか、あるいは改善するのかを、科学的な指針に基づいて冷静に議論し、進めていくことです。
そこで本稿では、私たちがこれまで身長と体重から何を理解し、どのように活用してきたのか、そしてこれからどのように活用すべきかを、私の視点からお話ししたいと思います。
歴史的背景:BMIの成立とその基盤
子どもの体格評価をめぐる現在の議論を理解するためには、まず成人を対象に発展したBMIの歴史的背景を振り返る必要があります。

ケトレーの発見とケトレー指数
ベルギーの天文学者・数学者・統計学者であったアドルフ・ケトレー(Adolphe Quetelet, 1796–1874)は、1832年の論文や1835年の大著『人間およびその能力の発達について、あるいは社会物理学の試み』において、人間の身長と体重の統計的関係を体系的に分析しました。もし人間が幾何学的に等比的に成長するのであれば、体重は身長の3乗に比例するはずです。しかし、ケトレーの実証的な観察はこれとは異なり、成長期を除けば「平均的人間の体重はおおよそ身長の2乗に比例する」という規則性を示しました (上図左がその例)。
この発見は、体重 ÷ 身長² という比率が成人の体格比較に有用であることを示唆します。ケトレー自身はこの比率を特別な名称で呼ぶことはありませんでしたが、後に「ケトレー指数」と呼ばれるようになり、今日ではBody Mass Index(BMI)として広く知られています。さらにケトレーは、成長期の子どもについては体重が身長の2.5乗程度に比例することを指摘し、大人と子どもでは異なるスケーリング法則が働くことを早くも見抜いていました。これは現代における小児BMI研究を先取りする重要な洞察といえます。
ケトレーが教えてくれたデータ解析の思想:たかが身長・体重ではなく,知のパズルのピース
ケトレーの考え方で特に重要なのは、データの背後にある意味を読み解く姿勢でした。昔は太っていることが、病気になりやすかったり、死亡率を高めたりすることは知られていなかったのです。そんな時代に、多くの人の身長と体重を、ただただ測って何かの役に立つと発想できるでしょうか。そんな中で、ケトレーは、単純な身体計測値であっても適切に解釈すれば「人間の本質」に迫ることができることを示したのです。
彼は、誰もが容易に得られる身長と体重のデータに基づいて統計的規則性を見出しました。そして、その単純な規則が記述している平均人(自然が理想とする定型的な人間)を基準として考えることで、基準からのずれとして肥満や痩せを評価できることを教えてくれました。驚くべきことに、現在もBMIの導出と基準は、身長と体重の大規模データに基づいています。ケトレーの業績は、「データから何を読み取り、人間や社会をどう理解するかが重要」という科学的思想を教えてくれたのです。私はケトレーの思想を信仰していますので「データが語るメッセージを聴く」ことを重視しています。
成体のBMIの基盤としてのアロメトリー
成人における「体重が身長の2乗に比例する」という経験則は、生理学的な基盤を反映していると考えられます。1930年代、スイスの生理学者 Max Kleiber(マックス・クレイバー) は、恒温動物の基礎代謝量 が体重
の 3/4 乗に比例する(
)という「クレイバーの法則(Kleiber’s law)」を提唱しました。
この法則を信じることにすれば、体表面積を通じた熱放散と代謝による熱産生の釣り合いを仮定し、人体を円柱の集合として近似すると、この熱力学的バランスから、成人の体重がおおよそ身長の2乗に比例することが説明できます。したがってBMIは、統計的に便利な指標というだけではなく、恒温動物の代謝や熱力学的制約に裏打ちされた合理的な指標なのです。
このように体格と生理機能の関係を研究する分野は アロメトリー(allometry) と呼ばれます。アロメトリーは、生物の大きさに応じて形態や生理、行動がどのように変化するかを調べる学問であり、種を超えて一貫したパターンを示します。
ただし、注意してほしいのは、ここでのお話は骨格が成熟した成体についてのお話で、骨格の急激な成長が生じている子どもには当てはめられません。
身長調整指標としてのBMIの成立とその限界
人間計測学において、ケトレーが提唱した「平均人(l’homme moyen)」──すなわち「自然が理想とする定型的な人間」──の身長と体重の関係は、体格指標を構築するうえでの基本的な発想を与えました。20世紀初頭、アメリカのメトロポリタン生命保険会社(Metropolitan Life Insurance Company)は、大規模な契約者データを解析し、肥満は糖尿病や心臓病などの疾病リスクを高めることを統計的に示しました。この知見は、保険数理の観点から「太っていることは保険金支払いリスクを増す」という実務的な問題意識とも結びつきました。その結果、保険会社や医師、科学者たちは、身長の高低にかかわらず、痩身や肥満を公平に評価できる数式を身長と体重データから導けないかと考えるようになったのです。近代的なBMIの歴史においては、こうした背景のもとで「身長との相関が最も弱い指標」を身長調節された体格指数として採用する、という考え方が導入されました。ここでいう「身長との無相関性(height uncorrelatedness)」とは、ある身長に条件づけたとき、その体格指数の期待値(平均や中央値)が身長に依存しないことを意味します。
ケトレーの着想があったものの、ケトレー以降の長い期間、体格を数値化する方法については統一的な基準が存在しませんでした。20世紀前半までは、単純に体重を身長の一次式で割った「Body Build Index」(体重÷身長)や、身長の三乗で割った「ポンデラル指数(Ponderal Index)」(別名 コープルネス指数(Corpulence Index) や ローレル指数(Rohrer’s Index)、すなわち「体重÷身長³」)など、さまざまな候補が提案されていました。これらの指標は、それぞれの研究者や応用分野(小児発育評価、軍隊や学校での体格検査、生命保険会社の死亡率統計など)によって使い分けられていたため、体格評価の方法は「乱立状態」にありました。
このような中で、アメリカの疫学者アンセル・キース(Ancel Keys)が1950年代から1970年代にかけて大規模な人類学的・疫学的データを解析し、体重÷身長²という指標が、身長との相関が比較的弱く、かつ肥満度の評価に実用的であることを実証しました。この研究が、現在のボディ・マス・インデックス(BMI)を標準的な体格指標として広く普及させる決定的な契機となったのです。 ただし、Keys自身もBMIが筋肉と脂肪を区別できないこと、したがって個人診断の唯一の基準とすべきではないことを注意しています。この研究以来、「身長非相関性」という基準が、身長補正された体格指標を正当化する根拠として広く受け入れられるようになりました。
その後、子どもの体格評価の分野で欠かせない存在となったのが、イギリスの統計学者ティム・コール(Tim Cole)です。彼は成長期の子どもを対象に、体格評価における身長補正のあり方を根本から問い直しました。コールは、単に「体重÷身長²」といった固定的な指数ではなく、体重÷身長 という一般式を考え、指数
をデータに基づいて最適化するという系統的な研究を展開しました。
その成果は画期的でした。彼は、最適な指数 が年齢によって変化することを明らかにし、年齢依存の
を導入することで、子どもの体格をより正確に身長補正できる可能性を示しました。これは単なる技術的改良ではなく、成長という動的な過程を前提にした新しい視点を体格評価に持ち込んだ試みだったのです。
興味深いことに、この発見は約200年前にケトレー自身がすでに観察していた事実──「成長期には体重と身長のスケーリング指数が変化する」──と響き合います。コールは、現代小児科学における国際的な標準的成長曲線(たとえばWHO基準やUK 1990成長基準)の構築にも大きく貢献てきた人物です。彼は、子どもの体格評価における世界的な権威として名を刻んでいます。
ただ、不思議なことに、こうして年齢や性別ごとに最適化された「身長と相関のない」指数 を用いても、必ずしも期待どおりの「良い指標」にはなりませんでした。コール自身も、
を調整しなくても、大人と同じ
で問題ないと主張しているのです。なぜなら、
の値を2より大きくとっても、標準的なBMIを超えて脂肪量や健康リスクの予測精度を一貫して改善するという確かな証拠は得られなかったのです (改善するという報告もありますが)。つまり、身長との単純な相関を取り除くだけでは、成長期の子どもの体格を公平かつ的確に評価するには不十分であることが次第に明らかになってきたのです。
言い換えれば、大人の体格評価においては有効であった「身長と相関しない数式を探しなさい」という構築の鉄則は、成長のダイナミクスをもつ子どもにはそのまま適用できないのです。だからといって、大人と同じ式でいいの?って、私は疑問を感じます。ケトレーなら、「そんな曖昧な判断をせず、データを読み解け」と、その信念を貫くはずです。
(つづく)