ケィオスの時系列解析メモランダム

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デジタルバイオマーカー (dBM)って何?

 近年、デジタル技術の進歩にともない、医療やヘルスケア、ウェルネス、労働安全といった分野で、「デジタルバイオマーカー(Digital Biomarker:dBM)」の活用が新たな診断・評価・管理の方法として注目されるようになっています。

 dBMとは、ウェアラブル機器やスマートフォンなどのデジタルデバイスを使って集められる、生理的あるいは行動に関する客観的で数値化されたデータのことで、健康状態の把握や病気の診断・管理に役立つ指標のことです。

 これまでの医療では、患者が病院を訪れたときに得られる限られた情報をもとに診断や治療が行われてきました。一方、dBMを使えば、日常生活の中で継続的に身体の情報を集めることができるため、より包括的でリアルタイムな健康状態の把握が可能になります。

 その結果、病気の早期発見や将来の状態の予測、治療の効果の見える化などが可能となり、個別の患者に合わせた医療(個別化医療)の実現にもつながると期待されています。

 これまで私は、生体信号の時系列データを数理的に解析することで、病気の診断や予後の予測に役立つバイオマーカーの開発に取り組んできました。また、医療の分野だけでなく、労働安全の分野でもウェアラブルバイスを活用したデジタルバイオマーカー(dBM)の実用化を進めてきました。

 たとえば、私が約7年前に基本的なシステム構造とアルゴリズムを開発した「Smartfit for work」は、現在では日本国内の多くの企業で活用されています。このシステムには、サイバーフィジカルシステムやデジタルツイン、dBMといった考え方が、2018年の社会実装当初から組み込まれていました (私は当時、それらの用語は知りませんでしたが)。

 今まで私は、「dBM」という言葉を知りませんでしたが、どうやら最近、このdBMに注目が集まっているようです。そこで今回は、このdBMについて改めて調べ直し、自分なりにまとめて記事を書いてみました。

デジタルバイオマーカーの定義とその意義

 dBM(デジタルバイオマーカー)は、スマートウォッチやスマートフォンなどのデバイスから得られる客観的なデータを使って、個人の健康状態をリアルタイムに把握する新しい評価の方法です。 近年では、アメリカのFDA(食品医薬品局)をはじめとする国際的な規制機関でも、dBMの定義づけが進められていますが、まだ標準化に向けては多くの課題が残されています [引用]。

 過去の研究論文で与えられたdBMの定義には共通する要素はあるものの、普遍的で標準化された定義はまだ存在していません。2023年の調査によれば、dBMを定義している128本の論文のうち、なんと127通りもの異なる定義があり、さらに約7割の論文では定義自体が記載されていませんでした。

 そのような定義の不統一が研究の進展を妨げるという指摘もありますが、私はdBMの定義そのものにはあまり関心がありません。それよりも、すでに社会に広く普及しているウェアラブルバイスから得られる、膨大かつ長期的な生体データをいかに活用するか ―― この点にこそ、dBMの真の可能性があると考えています。さらに言えば、「バイオマーカー=指標」という捉え方そのものが、dBMの価値や可能性を狭めているのではないかという懸念すらあります。私が真に追求したいのは、dBMではなく、Human & Life-integrated Bio-Digital Transformation(HLi-BioDX)という新たな枠組みなのです (力が入って脱線しました)。

dBMの現状と今後

 実際の応用例としては、心房細動などの心臓の病気の早期発見、うつ病や月経に伴う不調のモニタリング、高齢者の転倒リスクの予測など、さまざまな分野で研究と実用化が進んでいます。AppleやFitbit、Ouraなどの企業も関連サービスを提供しており、製薬会社との連携によって治療や臨床試験への導入も進んでいます。ただし、個人情報の取り扱いやデータの標準化といった課題も残されており、慎重な対応が求められています。

 今後は、dBMが医療の基盤の一つとして、予防医療や個別化医療を支える重要な役割を果たすことが期待されます。患者自身が自分の健康に主体的に関わる「エンパワーメント」にも貢献し、医療の質や効率を大きく向上させる可能性があります。今後さらに制度や技術が整備されれば、dBMは医療と社会の未来を形作る重要な存在となるでしょう。

私が考えるdBM技術

 これまでの臨床や疫学の研究では、多くの人に共通する特徴を見つけ、それを診断の基準として活用することに重点が置かれてきました。たとえば、血液検査や心電図といった臨床検査は、病院に行ったときに一時的に行うもので、普段の生活の中ではなかなか測定できません。

 でも、ウェアラブルバイスを使えば、毎日、何か月、あるいは何年にもわたって、体のデータを連続的に測り続けることができます。こうした長期間にわたるデータを活用すれば、人に共通する性質だけでなく、「その人自身の特性」を詳しく知ることができるのです。

 私は、dBM(デジタルバイオマーカー)の大きな可能性は、まさにこの「個人の特性を深く学ぶこと」にあると考えています。実際、私がこれまで開発してきたdBMの仕組みも、この考え方を中心に据えて設計しています。

 私はこれまで20年以上にわたって、心拍変動の研究を続けてきました。これらの研究は主に臨床の視点から行ってきたもので、人に共通する特徴を見つけて、病気の診断や予後の予測に役立てるという考え方に基づいています。

 しかし、ウェアラブルバイスを使って、日常生活の中での体の変化を評価する場合には、これまでの心拍変動の知識があまり役に立たないことがあります。というのも、ホルター心電計のような医療用機器と、市販のウェアラブルバイスとでは、精度や安定性がまったく違うため、医療機器を前提にしたこれまでの知見が、そのまま使えるとは限らないからです。

 だからといって、精度の低い市販のウェアラブルバイスが役に立たないわけではありません。むしろ、長い期間にわたって蓄積されたデータをうまく活用すれば、そこから新しい安定した情報を見つけ出すことができます。私は時に、研究者が真面目で勤勉すぎるあまり、過去の研究成果にとらわれすぎていると感じることがあります。もちろん、過去の知見が役立つ場面もありますが、dBMのような新しい分野では、過去の枠にとらわれず、新しい視点で生体情報を活用していく姿勢も大切だと思っています。