生物・生体・生命は、不思議な現象に満ちあふれています。ヒトを含む動物や植物、細菌など、すべての生物は細胞の核内にDNAを持ち、そのDNAに含まれる遺伝情報が、生物の成長の過程や形態、生き方を決定しています。 また、ヒトの脳には約860億個もの神経細胞(ニューロン)が存在しており、それらが電気的な信号をやり取りすることで、視覚や聴覚、言語の理解といった基本的な感覚機能から、新しいアイデアの創出に至るまで、さまざまな高度な機能を実現しています。
そのように、生物・生体が持つ多くの機能は、現代の科学や工学の知識をもってしても簡単には真似できないほど巧妙で、洗練されています。しかも、これらの精緻な構造や機能は、地球の原始の海から生命が誕生し、DNAの突然変異を繰り返しながら進化していく過程で、自然に獲得されてきたものなのです。それゆえ、生物の機能やふるまいの中には、現在の科学でもまだ解明されていない多くの謎が残されています。生物・生体は科学的・工学的な探究の対象として、計り知れない可能性を秘めています。
生物・生体を対象とした「生物・生体工学」という学問分野は、生物の仕組みを理解するだけにとどまらず、その知見を機械や情報処理に応用したり、新たな医療診断法や治療技術を開発したりすることで、社会に大きな恩恵をもたらす技術革新を目指しています。とはいえ、生物工学とはどのような学問であるかを、一言で説明するのは容易ではありません。それは、生物を「どのように理解するか」「どのように応用するか」に決まった方法がなく、むしろ、従来になかった新しい発想やアプローチこそが求められる分野だからです。
高校や大学で生物学・生理学を学ぶことは必須ではない
生物工学について正しいイメージを持っていただくために、ひとつ強調しておきたいことがあります。それは、「生物工学」と、高校で学ぶ「生物」、あるいは、大学で学ぶ「生理学」とは、大きく異なるという点です。
生物・生体工学は、物理学・化学・数学・情報といった分野の知識や興味を活かすことができる学問です。もちろん、生物学や医学の知識があればより理解が深まりますが、それらは大学・大学院や研究室で専門的に学びはじめてからでも十分に習得することが可能です。
たとえば、生物・生体の運動や脳の情報処理メカニズムを理解するためには、数学や物理学を使った数理的なアプローチが不可欠です。生物も機械やコンピュータと同じように、数式を用いて表現し、物理的・数学的な概念に基づいて解析することができるのです。
近年では、もう一つの重要なアプローチとして「データ駆動型(データドリブン)」の研究も注目されています。これは、大量の計測データや生体情報をもとに、統計解析や機械学習などの技術を活用して、生命現象のパターンや法則性を導き出す手法です。たとえば、脳波や心拍、細胞の画像データなどを解析することで、従来の理論モデルでは捉えきれなかった複雑な生体反応を予測・解釈することが可能になります。数理的モデルとデータ駆動型のアプローチを組み合わせることで、より深く生命の本質に迫ることができると期待されています。
したがって、物理や数学が好きな高校生や大学生の皆さんにも、生物・生体工学という進路をぜひ選択肢の一つとして考えていただきたいと思います。 実際に、大学や大学院で生物・生体工学を学んでいる学生の中には、高校や大学の選択科目で生物・生理学を履修していなかったという人も多くいます。
また、生物・生体工学を専門とする大学教員のバックグラウンドも多様です。学生時代に物理学、機械工学、電気・電子工学、制御工学、情報科学、薬学、歯学、医学など、まったく異なる分野を学んでいた先生方も少なくありません。それだけ、生物工学が幅広い知識と技術を融合した、学際的な学問であることを物語っています。私自身は大学で博士号を取得するまで非線形物理学を専門として学んできましたが、生命現象の持つ奥深さと神秘に強く惹かれ、いつしかその謎に挑戦したいという思いを抱くようになりました。そして、博士号取得後に、生命現象の研究をはじめたことがきっかけになり、現在は、大学の生物工学や生体工学分野の教員として働いています。
「生物 × さまざまな分野」=「生物・生体工学」
生物・生体工学は単に「生物 × 工学」、「生体 × 工学」という単純な組み合わせでは捉えきれません。むしろ、「生物・生体 × さまざまな分野」という、多様で境界のない学問領域であるといえます。
そのように、これまで別々の領域として扱われてきた学問が融合することを「学際融合」と呼びますが、生物・生体工学はその代表例といえます。
たとえば、「生物 × 物理」では生命現象を数式で記述して理解し、「生物 × 化学」では生体にやさしい新素材や医薬品の開発を行い、「生物 × 情報科学」では脳の仕組みを人工知能(AI)として再現するなど、その応用範囲は非常に広いのです。
しかし、これらは生物工学の一部に過ぎません。生物工学の可能性は、今もなお広がり続けており、これからの科学技術の発展において重要な役割を果たしていくことが期待されています。
大学院生募集
私がここで紹介してきたような内容(数理的な理解)に興味を持ち、生物・生体工学の不思議や可能性にも挑戦してみたいと感じた方は、ぜひ大学院で私の研究室への入学を検討してみてください。博士号の取得を目指す大学院の博士後期課程では、社会人で入学される方が増えています。私の研究室でも、そのような方の入学を歓迎しています。お問合せは、プロフィールのフォームからお願いします。
物理や数学、情報など多様な視点から生命現象にアプローチする仲間として、一緒に新しい科学の地平を切り拓いていけることを楽しみにしています。
とはいえ、私の研究室がすべての方に向くとくことはありません。最近の社会人学生が博士号取得のために出版した以下の論文を参考にしてください。どちらかといえば、数理寄りの研究が多いです。ですので、数式を見るのも嫌という方は難しいと思います。博士号の学位は、大学院に入学すればほぼ全員が取得できるというものではありませんので、慎重に検討して下さい。
Enhanced scaling crossover detection in long-range correlated time series - ScienceDirect